2014/02/02

節分に想う。


旧正月1月2日の今日、鳳来は静かな雨と霧です。
ほの暖かさが増すこの頃は、山をすっぽり包み込む霧がたびたび発生します。
今季は雪も雨もほとんどなかった冬でした。
車がスリップする危険が少ないのは良かったですが、
米作りに欠かせない水が心配。。。
この近くを流れる河川も底石が見えるほど水が少なくなっています。

雪は山にゆっくり染み込み、豊富な湧き水となって棚田を潤します。
灌漑用水などなくても長い間、稲作ができたのは湧水のおかげ。
我が家もそのおこぼれでお風呂から洗濯、料理まで賄っています。
考えてみれば贅沢なこと。。。
少なくとも簡易水洗ぐらいは雨水等ためておき利用したいものです。

ほんの少し昔、集落に住んでいた人たちは水洗トイレを使いませんでした。
下肥を自分で汲んで、田畑に肥料として撒きました。
それがごく当たり前のリサイクル。

今ではじゃぶじゃぶ使う強力洗剤も防カビ剤も殺菌剤も使いません。
肥料に撒いたら毒になるようなものはわざわざ使わない。
肥料に使えなくなるし、薬剤は高いし、もったいない。
エコです。

そして、今の子どもなら鼻つまんで逃げてしまう作業を
子どもたちは家事として行なっていたといいます。
お手伝いではなく、家事として。。。
大人の私でもできない作業です。正直、怯みます。
「でも自分で始末すれば他人に嫌な思いさせずにすむし、美味い野菜も採れるよ」
畑が友達だったという80代のおばあちゃんが笑顔で話してくれました。
笑顔で。。。がすごい。嫌でたまらない思い出ではないんですね。

戦前生まれの方達は今よりずっと栄養不足だった、と言われます。
なのに骨も太いし、病気も少なく長生きなのは
こうした土や水を汚さない生活の恩恵だったのではないでしょうか。
完全有機農業の野菜や米は微量元素が豊富で、
化学肥料育ちの野菜よりはるかに旨味と栄養があるそうです。
さらに重いものを担いで歩いたおかげで、骨格や筋肉が丈夫なのも
現代っ子の比ではありません。

暮らしが身体を造り、人を育てる。
最後の始末までやり遂げる強さ。
こればっかりはお金で買えないものですね。
だから身体は弱っても心は折れない。

そんなおじいちゃん、おばあちゃんの強さに学びながら
山での生活もいよいよ丸三年になろうとしています。
まだまだへなちょこな自分ですが
ゆっくり腰を据えて学んでいきたい、です。
仕事では身体の不具合を診させていただいてますが
実は私が学ばせていただくことが本当に多い。
自分にないものを見て、感じることが多い日々なのです。


ちなみに画像ははちどりカフェの講座で先日学んできた論語。
「徳ある者は孤独にならず、いずれ必ずや理解者が現れる」という意味だそう。
好きな言葉です。しみじみ励まされます。
胸に刻み、ゆっくりがんばりましょう。















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